イエスの方舟の現在、千石剛賢の家族・嫁・子供、シオンの娘とは?

1月27日のTBS「爆報!THEフライデー」
1978年~1980年に世間を震撼させた「イエスの方舟事件」が放送されます。
「現代の神隠し」とまで騒がれた集団失踪事件の真相とは?
当時、謎のカルト宗教集団「イエスの方舟」 の教祖とされていた
「千石イエス」こと、千石剛賢(せんごくたけよし)とは何者だったのか?
マスメディアによる過剰な追求キャンペーンと加熱するバッシング報道・・・、
「イエスの方舟」のその後と現在、
今もメンバーが営んでいる福岡市中洲のクラブ「シオンの娘」とは?


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イエスの方舟事件・記者会見
1980年7月3日・「イエスの方舟」緊急記者会見

イエスの方舟事件とは?

事の発端は1965年(昭和40年)、
東京都昭島市にすむある家族から20の娘が宗教団体「イエスの方舟」に入信して
家出してしまったと捜索願いが出されたことからです。
その後、同じような若い女性の家出が相次ぎ1977年までに7件に捜索願いが出されています。

「イエスの方舟」とは千石剛賢(せんごくたけよし)が主催していた
無会派のキリスト教教団「聖書研究会極東キリスト教イエスの方舟」のことで、
宗教団体として法人化していたわけではなく当初から聖書研究を中心とした信仰グループでした。
1960年に千石が「極東キリスト教会」として東京都国分寺市恋ヶ窪で設立、
テント張りの住居兼会堂を拠点として府中市や小平市など多摩地区で布教活動を続けるうちに
家出してきた信者らと共同生活をするようになり、
生活を共にしながら聖書の教えを学びあうという家族のような集団になっていったようです。
信者たちは地域の各家をまわり、
刃物研ぎや歯ブラシやゴム紐の行商などで生計を立てながら布教活動を行い、
なんと得意先は1万5000軒にも及んだといいます。

その後1975年に「イエスの方舟」と改称。
しかしそのうちに捜索願いが出されていたことから
1977年9月に警視庁防犯部少年一課が特別捜査班を編成。
ついに警察の捜査が入ったものの・・・法に触れることは何もしてなく、
女性たちの入信も本人たちの自由意思であることが判明したため
強制的に連れ戻すということができなかったようですが・・・、
ただそれでは家族の側は納得せず、
「娘を返せ」と恋ヶ窪の住居兼会堂に押しかけるようになったのです。

仕方なく千石は1978年4月に国分寺の住居兼会堂を引き払うことを決意。
そこから大阪・神戸・長野・岡山などを転々とする「逃亡生活」が始まるのですが、
1978年12月から福岡市内のマンションで共同生活を営むようになり、
翌年3月から生計を立てるために若い女性信者9人が市内の「キャバレー赤坂」で
ホステスとして働き始めます。
当時のメンバーは26人(若い女性11人、中年女性8人、中年男性4人、青年男性1人、子ども2人)。

しかしこの間にも娘を失った家族らの警察やマスコミへの働きかけは続いていき、
徐々にマスメディアも多くの若い女性が集団生活をしながら放浪している宗教カルト教団という
いかにも胡散臭いのイメージに喰いつき、
「千石ハーレム」「現代の神隠し」といった表現でスキャンダルとして取り上げるようになると
テレビのワイドショーでも格好の餌食となって連日放送されるようになっていきます。

中でも1979年の『婦人公論』1月号が
「千石イエスよ、わが娘を返せ」という失踪した娘の家族の手記を掲載、
教団が娘をかどわかして監禁していると訴えて反「イエスの方舟」キャンペーンを展開し始めると、
さらに産経新聞も同様のアンチ記事を掲載するなど・・・、
世間の風潮として「イエスの方舟」が若い女性を監禁して
淫らなハーレムを形成している邪教集団と断定するかのようなバッシング報道が
どんどん加熱していったのです。
またこれが社会問題となって国民の注目を集め始めると国会でも取り上げられるようになり
ますますメディアの偏向した報道は止まらなくなっていきます。
ちなみに千石剛賢本人は自ら自身を「千石イエス」と名乗ったことは一度もありません。
すべてメディアによって作り上げられたものです。

しかしそんな中で唯一信者の反論を真摯に受け入れ
「イエスの方舟」に寄り添った報道姿勢を貫いたのは『サンデー毎日』だけでした。
結果的に『サンデー毎日』のスクープ記事によって真相が明らかになっていき
邪教集団と言われた世間の誤解はようやく解かれていくのです。
その後、警察も逮捕状をとって千石剛賢の身柄を追っていたためやむなく千石は警察に出頭。
多くの女性を含めた信者たちも全員家族に引き取られて自宅に戻ることになったのですが・・・、
警察に出頭した千石は実際には法律的には何一つ違法なことをしていなかったため
まもなく不起訴となって釈放。
「若い女性をかどわかして監禁、淫らなカルト教団」とされた根拠のないデタラメな報道は
やがて沈静化していくことになるのです。


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「千石イエス」こと、千石剛賢とは?
家族・嫁・子供は?

ではその「イエスの方舟」の教祖的な存在だった千石剛賢(せんごくたけよし)とは
どんな人物だったのでしょうか?
またどのようにして「イエスの方舟」を主宰するようになったのか。


千石剛賢
出展:http://crazylife32.seesaa.net/article/298275451.html

千石剛賢は1923年(大正12年)、兵庫県加西郡有田村の
農業と米問屋をやっている資産家の裕福な家庭に生まれています。
尋常高等小学校の頃はほとんど学校にも行かず
まだ周囲が着物姿で学校に行っていた頃、剛賢は洋服に靴で通学していたようですが
性格はわがままで、新しいものを買ってもらいたくてわざと靴を壊して
親にねだったりするような子供だったといいます。

14歳から幾度となく丁稚奉公に出て染物屋や料理店で働くも
どこに行っても長続きしない少年でしたが20歳で海軍に入隊。
終戦後は刃物工場を経営するも1951年に倒産、単身あてもなく神戸に出たものの
喧嘩っ早い性格が災いして荒れた毎日を送っていたようです。
そんな時に偶然に通りかかった教会でキリスト教と出会うことになります。
その翌年に最初の妻と離婚、まさ子さんと再婚します。

実は千石は、以前に姉が通っていた「生長の家」の集会に顔を出していたことがあり
宗教というもの自体にはある程度なじみがあったようで、
教会に通ううちにキリスト教と「生長の家」を二つ合わせたらどうかと思うようになっていきます。
それが後の「極東キリスト教会」の源となるのですが
その後、大阪でまさ子さんと夫婦で聖書研究会に参加。
1960年にその研究会の会員10名と国分寺に設立したのが「極東キリスト教会」だったのです。

したがってキリスト教とは言っても源は「生長の家」との融合であり
そういう意味では純粋なキリスト教とは本質的に異なった異端だったといえます。

千石剛賢の家族図
出展:http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200711160197.html

千石剛賢は実は二回結婚していて
家族はまさ子夫人と実の子供が3人、養子が1人います。
最初の妻との間に長女と次女が2人、
再婚したまさ子夫人の間には「イエスの方舟」の副主管をしている三女の恵さん。
そして同じく副主管をしている養子の雄太さんがいます。
合わせて4人の子供たちとはいずれも「イエスの方舟」で共同生活をすることになったのですが
そんな共同生活をまっとうするために自分の「家族」を解体、
まさ子夫人とは形式的に離婚というカタチをとって
信者全員が平等に家族であるとして「おっちゃん」と呼ばせていたといいます。

そして「イエスの方舟」の世間からの誤解がようやく解けて
実態が明らかになってきた1980年12月に
千石剛賢は福岡の中洲で「シオンの娘」というクラブを経営し始めます。
同時に家族に引き取られていった信者たちも多くは「イエスの方舟」に戻ることを望んで
福岡に再び集まるようになり共同生活がまた始まっていきます。

1993年には古賀市に自宅兼教会の「イエスの方舟会堂」を建設、
共同生活を継続しながらも来客者の人生相談に乗るなどの活動も絶やしていないといいます。
そして「おっちゃん」と慕われた千石剛賢は2001年(平成13年)12月11日に78歳で他界。
しかし信者たちによる「シオンの娘」は今だ健在、
現在は夫や近親者の暴力などに悩む女性たちの『駆け込み寺』的な存在になっているようです。


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「イエスの方舟」の現在、
「シオンの娘」とは?

「イエスの方舟」の信者たちが運営するクラブ「シオンの娘」は現在も営業しています。
福岡市の中洲の人形小路、ひしめき合う雑居ビルの谷間にそのお店があります。
ちなみに「シオン」とは神の都「エルサレム」の雅名(雅号)で
日本のことを「ヤマト」というのと同じです。
「シオン」はエルサレムの南東の丘のことですが、
理想的な神の都としてのエルサレム全体を指している言葉です。


クラブ「シオンの娘」
出展:http://saydie.jp/blog-entry-744.html


クラブ「シオンの娘」
出展:http://toyokeizai.net/articles/-/125282?page=3

現在、実質的なクラブの経営に携わっている三女の恵さんは、
「肉体は滅びても、おっちゃんは生き続けています。
私たちを置き去りにせず、より一層、一体になっている」と言います。

千石剛賢が会員たちに託した遺言は・・・
「仲良くすること」
「健康に気をつけること」
「聖書の研究を続けること」
かつて「淫らなカルト教団」とバッシングされた教団は福岡市の片隅で
ひっそりと実在していたのです。

それにしても結果的に誤った報道でバッシングの渦に罪もない集団を巻き込んでいった
『婦人公論』と『産経新聞』などはその後に謝罪などの検証記事をしっかりと出したのでしょうか。
こういう事例をみるとメディアが第4の権力だという自覚は果たしてどこにあるのか、
大いに疑問に思ってしまいます。


イエスの方舟事件の真相・千石イエス 千石剛賢・現代の神隠し


イエスの方舟事件の真相・千石イエス 千石剛賢・現代の神隠し


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